佐賀・福岡の靴屋 ティックワールド

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会長と私の靴奮戦記  Vol.8
2022.02.06 | column

「佐賀に決めた」

M.ando

 

震災の前から田村会長の頭の中にあったこと。それは産地を変えること。

 

会長にとって当時の神戸のメーカーは、革靴といってもざっくりとしたカジュアルな作り方で、どうも馴染めなかったこともあり、また若い頃に学んだ地であるイタリアの風景が忘れられず、地方で一から自分の靴づくりを教えたいという気持ちが大きくなり始めていた。

 

候補はお付き合いのある下請けメーカーさんがいる山陰地方か、20代お世話になった佐賀県。

どちらか思案していた時の震災。

その数日後に電車を乗り継ぎお米を持って訪ねてきてくれたのが佐賀県の企業誘致をしてくれていた職員さん。

「頑張ってください!」

移転先は佐賀しかない!とその時決意にかわった。

 

私はその大変な時期にいなかったので、東京に来た時に会長から「佐賀に工場をつくるんや」と聞いた時、心底驚いたのを覚えている。

 

震災の傷跡がまだ生々しい頃、目を輝かして熱く語る会長に、「はぁ、はぁ」と只々うなづき、圧倒されっぱなしだった。

 

「ピンチの時ほど攻めていくんや」

「今攻め?って、なんで佐賀?」

当時の私では会長の想いはわからなかった。

 

でも今を生きる私には痛いほどにわかる。

 

あなたの強さには叶わないけれど、私はしっかりと受け継いでいきます!

・・・つづく

 

浅草こぼれ話

 

「ウィンドゥの写真もよろしく!」

初のパリ一人旅が決まったと思ったら、仲間から説明を受ける。

海外に出張した際、必ず他の企画メンバーの為に、靴屋のショーウィンドゥの画像を撮影してまわるのだ。

「36枚撮り、10本は持っていってた方が良いよ」

デジカメがない時代。

フィルムをたくさん持ってカメラ片手に夜明けと同時にパリの靴屋巡り。

朝陽が反射してウィンドゥが見えなくなる8時くらいまでに撮りまくる。

夜はあまり遅くまでは安全のため出歩けないし、昼間は店員さんの目が厳しくて撮らせてもらえない。朝の2時間が勝負。

撮り終えた後は、やっとカフェで朝食。

お陰で時差ボケになることもなく、夜は早めに眠くなる。

日本にいるより健康的!

パリにいる間の日課だ。

 

年2,3回のパリ出張、6年やらせて頂いて、短時間で回るコースも身に付き、パリ市内の地図が頭に入った。

ただし靴屋があるところだけ…

残念!!