「こういう時だからこそ、必要なんや」
M.ando
私が東京の仕事にも慣れ、神戸時代とは真逆の女性ばかりの企画室で楽しい毎日を送っていた時に衝撃のニュースが飛び込んできた。
「阪神淡路大震災」
その日は夏の展示会中だった。
まだネットもスマホも普及されていない時代。東京の会社は大阪にも支社があったし、全国の百貨店に売場を持っていたため、社内の展示会場のテレビの前でみんな集まり、電話をかけまくって社員の安否の確認をしていた。
私は神戸で知り合った顔が次々に浮かびながらも、この状況の中で久しぶりの私が電話をしても迷惑をかけるだけでは?状況を把握してからにした方が良いだろう。そういう思いを巡らしながら不安な時間を過ごした。
ティックワールドは取引先ということで早々に会社間の連絡で無事を確認できていたので一安心ではあったが。
あの懐かしい長田区の惨状のニュースを見るたびに、悲しい思いで胸が一杯になった。
その中で後に聞いた田村会長らしいエピソード。
震災が起きたのは17日。そしてティックワールドの各協力会社さんへの支払日が20日の小切手支払い。
この混乱の中、会長は会社の入り口に大きな張り紙を貼った。
「本日現金で支払います。受付けはこちら」
「こういう時にありがたい」と、集金に来られた方々。
「こういう時だからこそ、必要なんや」と、会長。
現金を銀行から引き出すのも大変だった状況の中。
しかも大金だ。
会長の男気が溢れる、まさに会長らしいエピソードだった。
・・・つづく
浅草こぼれ話
「ちょっとパリに行ってきて」
東京浅草の会社での担当ブランドがパリ在住の日本人デザイナーで、打合せの為に行ってきて欲しい、と言われた時のコトバ。
しかも入社後数か月しか経ってなくて。
「ちょっと渋谷に行ってきて」みたいなノリ。
「パリは行ったことあるんでしょ?一人で行けるよね」
当然のことのように軽く言われて2度びっくり。
パリは何度か行かせて頂いていたが、一人は初めてだし。
でも「できない」と言えない性分の私は「何とかなるでしょう」と強気の姿勢。
往復24時間かけて、パリの滞在は3日間。
靴人生の第2幕のスタートは、「都会は恐ろしいところ」を実感したことだった。