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会長と私の靴奮戦記 Vol.15
2022.03.27 | column

「俺が何も知らんと思うんか」

M.ando

 

会長は当時「これから問屋に頼る商売は厳しくなるに違いない。直営店を作り、自給自足を目ざす」

それを実行するためSPAの多店舗展開を目指していた。

つまりは「お客様の声」を聴くことによっての商品開発と製造を安定させるための策だった。

 

退社する前任者がすでに5店舗作っており、さらに次々と店舗を増やす計画になっていた。

その管理を任される形となったのだ。

 

当時の私は訳もわからず、目の前にある問題にぶつかって対処するしかなかった。

パート募集できた販売員に何とかお願いしながらも踏ん張っていったが、どこかで無理が生じるのは目に見えていた。

ただただ多店舗展開をしたい会社に従って前ばかり見て突っ走り、ふと、後ろを振り返ったら誰もついてきてなかったことに気づいた時には遅かった。

 

売上も素人考えで上がるはずもなく、たまたま採用したベテラン販売員の販売力に助けられていただけで、中身はスカスカ。

 

赤字が続く直販部に会長の罵声がとんでくる毎日。

そして「どこを見て仕事をしてるんですか」と店舗スタッフから言われ、信頼関係が築けない日々。

 

今振り返っても、当時が一番つらかった。

辞める事さえ頭をよぎったこともあった。

 

このままでは全てがダメになる。

 

私は意を決して会長に直訴した。

「もう店舗を増やすのは中断してほしい」「私では無理」と号泣したのだ。

その時にでてきたコトバがこれ。

 

「お前が一番つらいのはわかっとる。何も知らんと思っとんか。お前やったらできると信じとるんや」

 

ずるい!本当に会長はずるい!

一番追い込んだのは会長自身なのに、頃合いを見計らって今度は引っ張り上げる。

そして単純な私はまた頑張って、「乗り越えられるような気がする」のだ。

会長の手のひらで踊らされてるのがわかっていても、結局結果を出さずに逃げるのは悔しい。

 

辛いことから逃げたり胡麻化したりしても何もならない。

何としても乗り越えていくしかないのだ。

自分の目指すものは、その頑張る延長線上にしかないのだから。

 

結局問題は「周りの人」ではなく自分にあり、解決策は自分が成長するしかないということに気づかされた。

 

それからの日々はビジネス本や歴史書など、できるだけ本を読む時間をつくり、セミナーなどに参加したりと自分投資の時間を作ることに努力した。

 

どれくらい経っただろう。

 

気が付いたら落ち着いていろんな対応ができ、以前のように目の前のことに振り回されることが減っていった。

スタッフとの会話の内容も変わっていった。

 

結局会長との会話で気持ちの切り替えができたとこに間違いはないが、絶対に別のやり方があったはず、と今でも「納得」したくない、私である(笑)

 

・・・次回は最終回

 

店舗こぼれ話

「これでスタートラインにたてたね」

 

会長の古くからの知人で、名古屋で靴の小売り店を数店舗されている社長さんに、店舗管理のコンサルをお願いしていた時期がある。

遠方のため数か月に1回来ては色々教わるのだが、会長とはまた別の強者。

 

とにかく明確な答えはしない。ヒントか抽象的な答え方だけ。

いつも私に考えさせるような言い方しかしてくれない。

でもお陰で物事をいろんな角度で考えられるようになり、結果として、私にとってすばらしい先生だった。

 

そして2年間のコンサルを終了するときに頂いたコトバがコレ。

 

「マイナスから始めたけど、やっとスタートラインに立てたね」

 

えー、未熟なのは十分承知してましたけど、2年かかってスタート地点ですかぁ?

 

戦後を生き抜いてきた人は強者揃いだった。